土屋賢一

プロフィール
銀行、ノンバンク、IT企業、病院などの職種を経験、いずれの職種に於いても、ノルマのかかった重責を担い、常に組織の中心的な役割を果し、業績拡大、会社発展のために尽してきました。
中でも、ノンバンク、IT企業、病院に於いては経営者の片腕として業績拡大に努め、それぞれの会社の黄金時代を迎えることができました。
その中でも、平成7年から平成30年まで関わったある地方の大型救急病院については当初経営が悪化,すでにメイン銀行が匙を投げた状態の中で、東京から呼び出され再建を依頼され、再建のために多くの改革と年月を費やした経緯があります。その結果20年後には遂に収益力県内トップを実現させ,平成30年4月に77歳で引退しました。
問題解決のため守備範囲は、経営、財務、労務、人事、営業、法務など広範囲に及び、時には社長、理事長を越える権限を与えられてきました。決断力、行動力、統率力が持ち味です。
経歴
1・富士銀行時代(1959年4月~1981年7月までの約22年間)
住宅街店舗、中小企業店舗、兜町証券業界、など多業界の融資業務を担当。
当時資金量日本一を維持するため、資金量2位の住友銀行を意識した過酷な預金獲得競争に明け暮れ、量的拡大方針に走る銀行の経営姿勢に疑問を持ち、42歳で銀行に見切りをつけ退職。最終役職 課長職。後日人事部より大阪支店異動の打診を受けるも辞退。

2・東京相互銀行傘下のノンバンク時代(1988年7月~1995年2月までの約8年間)
経営者の側近として審査部副部長、不動産部長、検査部長、大阪支店長、八重洲支店長などを歴任、業績の拡大に奔走するもバブル期の金融危機に直面、出資法、貸金業法の金利引き下げの中で「もはや当社の役割は終わった。会社存続よりも整理の方向に向かうべし」との見解を会議の席上で発表、責任をとって辞職。

3・コンピューターソフト開発会社時代(1997年10月~1999年9月までの約2年間) 
社長室長、人材開発部長、関西支社長として経営計画の策定推進、財務担当、上場準備業務を担当し受注拡大、会社発展に努めるも、財務内容をひた隠しする社長の経営方針に異議を唱え、財務内容は常に公明正大でなければならないとして対立、慰留されるも身を引く。

4・大型救急病院再建の時代(1995年5月~2018年4月までの通算約23年間)
経営の悪化した県下最大の大型救急病院の再建業務。 
(1)病床数は急性期,慢性期病棟をあわせて約850床の県下最大の二次救急病院、当初の役職は理事、統括本部長兼事務長。
(2)着任当初は財務内容が極めて悪化、主力銀行2行も既に匙を投げた状態であったが弁護士、全職員の協力のもと300に及ぶ荒療治を断行の末、
①1年後には早くも黒字転換に成功
②10年後には累積赤字を一掃
③20年後には財務内容(自己資本比率)県内トップを実現、奇跡の復活を果たす。
④最後の2年間は,だれもが嫌がる未収金回収業務を担当、過去10年間の
未収金約6500万円を法的整理も含めて50万円以下に圧縮した実績を持つ。
この流れを見届けたうえで平成30年4月引退。
研修ジャンル
問題解決、営業力強化、組織活性化、業務改善、対人能力、マネジメント、医療関係
主な実績企業
富士銀行都内店 東京相互銀行傘下のノンバンク IT企業株式会社ベストロン 二次救急病院新松田会愛宕病院
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問題解決のための原因分析と解決の仕方につきノウハウを有しています。
業種を問わず、日本の約420万事業所の大半が長期にわたって赤字の状態です。
これらの集合体がデフレ経済を長引かせている原因です。なぜ赤字になるのか、どうすれば黒字転換できるのか。セミナーの席で参加者と対話していきます。
主な著書
 ①このままでは日本が危ない!!年収200万円でも生活できる社会を実現!!
   『奇跡の日本大復活』 土屋賢一 amazonで見る
 ②物を捨てない、燃やさない「循環型社会」を立ち上げ、崩れゆく日本を再生!!
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